31日目 ばーちゃんの話

 

昨日の続き。

 

ワイはばーちゃんが家を出るのはとても寂しいと思っていた。物心つく前からの付き合いだし、よく遊んだから。でも、認知症ってのは、ほんとに大変な病気なんだ。

 

テレビとエアコンのリモコンの区別がつかない。家族の名前を忘れる。徘徊、無銭飲食。今いるところが自分の家かどうかもわからない。妄想を現実と錯覚する。深夜に大声を出す。被害妄想で人を攻撃する。存在しない人の幻覚、幻聴。台所で火災報知器が作動してボヤ寸前。

 

不幸自慢したいわけじゃない。ただ、あんなことあったなって、ばーちゃんとの思い出を思い出しているだけだ。

 

フィクションの世界でもキャラ作りでもなく、実際にリアルで脳がイカれてる人というのは不謹慎ながらとても興味深い存在だったので、創作の参考になればとよく話を聞いたものだが、見えて、記憶して、生きている世界がワイらとは少しズレているような、そんな感じがした。ばーちゃんはばーちゃんの世界の中で普通に生きてるだけで、ワイの生きている世界とは、半透明のフィルムを重ねたみたいに、部分的に一致したり異なったりしているだけなんだ。

 

ワイはこうして呑気なことを言っていられるが、矢面に立ってばーちゃんと対峙してきたパッパとマッマはたまったものではなかっただろう。

 

午前4時、ヒステリーを起こしてマッマに怒鳴り散らし、リビングから聞こえるマッマのすすり泣きで眠れなかった日。

 

昼夜問わずばーちゃんと毎日のように口論して、ストレスと睡眠不足ですっかり病んで、今も少しだけおかしくなってしまったパッパ。

 

ワイもばーちゃんが不安定なときはどんな深夜でも話を聞いたりするが、そんなのは両親の負担に比べたらクソみたいなもので、そうそう、粗相の始末もしたこともある。

 

今でこそデイケアに通ってばーちゃんの精神状態は安定しているが、かつての両親の辛苦、ある意味での念願を、ふたりに守られてきただけのワイが寂しいからって不意にすることなんて、どうしてできようか。わかってるんだよ、そんなことは。

 

それに、ばーちゃんは今でこそひとりで歩けるし、飯も食えるしトイレも行ける。でもそれもずっとそのままとは限らないし、もし介護が必要になったとき、ワイがその役を担えるのか。大学だってワクチンの職域接種が実施されてじきに対面授業が始まるらしい。ワイもいつまでも家にいられない。

 

そうだよ、わかってんだよ。そんなこと。

 

でも寂しいよなぁ。

 

もう深夜に起こされることも、ばーちゃんに弁当を届けることも(先のボヤ未遂事件で台所のガスはストップ。ヒステリー対策に包丁や刃物類も撤去されて、ばーちゃんの台所は料理ができない状態)ないんだなぁと思うと、寂しくて、ちょっと泣きそうになった。

 

でも、やっとグループホームの空きをもらえたんだよな。わかってるよ。

 

グループホームの部屋のセッティングを手伝ったんだけど、お気に入りのぬいぐるみと家族全員が写った写真を部屋に飾ったとき、なんか、ほんとに家を出ていくんだなって改めてすげー悲しくなった。

 

ダメだこれ以上は。もうやめ。おやすみ。